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写真の撮り方や
   私からの提言



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[はじめの提言]
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[写真の加工に対する提言4]
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[右脳が重要、提言8]
(2002年6月14日更新)

[はじめの提言] (トップへ)

 私の経験から一言で現すなら、『光のつかみ方』につきる。

 どんなに良い被写体を撮影しても、おざなりの写真になってしまうのは何故か?それを撮影したときどれくらい美しく写すかは、その被写体にどのような方向から、どのような光が射しているかを計算に入れて撮影したかどうかにかかっている。
 例えば、太陽の光が反射しているものを見つけ、それが美しいと感じる瞬間を撮ることが重要です。ですから、順光、逆光、半逆光などにとらわれずに、光の当たり方に注意してフレーミングをしてみることを心がけるべきです。

 一言で「光のつかみ方」では、わからないかもしれませんが、目の前の花を撮ろうとしたら、その花にどの様な感じの光が当たっているか、または当たっていないか、背景になる方にどんな光が当たっているか、あるいは暗く落として撮影したいのか?
 ある程度の経験が必要でしょうが、やっていくうちに気が付くしかありません。でも、いい写真が撮れたらそれをヒントとして、更に自分だけの写真を撮れるようになってください。

 また、カメラに付属しているストロボを、いつでも光らせている人がいるが、失敗はしないがよい写真はなかなか撮れないのではと思います。結婚式とか、記録したい場合にはストロボは必要ですが、舞台やコンサートのように照明が強い場所では、高感度フィルムを使い撮影した方がよいでしょう。


[2つ目の提言] (トップへ)

 始めの提言では、「私の経験から一言で現すなら、『光のつかみ方』につきる。」と記しましたが、ここでは、

 『被写体との一体感を強く持ち、それとの周波数を自然に合わせる。』

 これは、写真を撮るときの集中力と、とらえる方が多いでしょうが、勿論集中力も必要ですが、それ以上の被写体の感情とか、本質とか、どこでシャッターを押して欲しがっているかを見極めなければなりません。
 相手が、人や動物なら比較的に見て分かるのですが、植物や、感情のわかりにくい風景、などを相手に撮影する場合は、数をこなしてもなかなかとらえどころがありません。この場合は、素直にその風景などに深く感動した瞬間が、シャッターチャンスと考えて撮ってみたらどうでしょう。
 この極意を習得するには、単に写真を撮るだけでは難しいでしょう。ただ数打ちゃ当たるというように、たくさん撮ってたまに本当によい写真を撮るうちに、わかる人にはわかっていただけるのではないかと思います。

 要するに、シャッターを押すときにどれだけ被写体に対して「イメージ」を自分の中で再構築できるかだと思います。

 カメラを持っていてふと気づくと、最高によい構図のところにいて、ほとんどそこから動くことなくシャッターを切れるような経験がある人は、よい写真を撮れる可能性があります。

 うまく撮れない人は、技術が悪いのではなく、撮ろうとしている被写体と相性が悪いかも知れないことを、頭に入れる必要もあるかもしれません。

 写真は、本当に多くの人が簡単に撮れるのですが、ありきたりでも好きで撮っている人は続けて欲しいものです。 


[3つ目の提言] (トップへ)

 始めの提言では、「私の経験から一言で現すなら、
『光のつかみ方』につきる。」
 2つ目の提言では、
「被写体との一体感を強く持ち、それとの周波数を自然に合わせる。」
と記しましたが、今回は、

 『シャッターチャンスは絶対逃すな。』を提言します。

 これは、当たり前のようですが、気を抜いた一瞬で物凄いシャッターチャンスを逃すことがよくあるからです。
 ただボーとしていれば、チャンスを逃すのは当たり前ですが、あたりにアンテナを張っていれば、即座にシャッターを切れるはずです。しかし、1回や2回のチャンスを逃したからといって、がっかりすることはありません。誰でも、よいチャンスは必ずやってきます。ただ、それに気づくかどうかはあなたにかかっています。

 今までの提言を100%理解し、本当に実行できたなら、きっと満足の行く写真が撮れるでしょう。


[写真の加工に対する提言4] (トップへ)


 最近、写真の現像、焼付け、引伸ばしは、カラーでも本当に安くなりました。機械焼きでもきれいに上がり、しかも短時間で出来あがってきます。きっとその全てを自分でやっている人もいるでしょうが、特にカラーは自分でやるには、お金もかかるし設備も必要だし、技術も素人には難しいものです。

 このホームページをご覧になっている方は、むしろフィルムをスキャナーで取り込み、パソコンで加工した方が簡単で、失敗してもハードディスクから削除してしまえばよいし、素人にも簡単に技術を習得できそうです。なにしろ失敗に対してお金がかからないのが一番でしょう。

 写真(画像)の加工ソフトとして有名なのは、アドビシステム社のフォトショップでしょう。これならたいていの事はできるし、やろうと思えば合成写真のようなものまで作れます。しかし値段的にちょっと高価なので、最近発売されたフォトデラックス(アドビシステム社)ならリーズナブルで、特殊加工をワンタッチでできるようになっているので便利です。私のホームページの壁紙の一部も、フォトデラックスで作ったものがあります。(他社でも色々なソフトが出ているようです)
また、フォトショップでもLE版として廉価版もでてます。

 カラープリンターも安くなっただけでなく、クオリティーも大変よくなってきました。A4までならどのカラープリンタを購入してもほぼ確実に引伸ばせるし、1枚にかかる費用もほとんどインク代だけですみます。デジタルカメラがはやってきましたが、150万画素以上あるカメラで撮影すると、かなりの大伸ばしにも耐えうるようです。

 写真はフィルムを使って撮る方が個人的には好きですが。今風にデジタルカメラの画像をプリンタで印刷するのが今後は増えていくでしょう。ぜひ皆さんもデジタルな写真を作ってみてはいかかでしょう。


[写真を撮影するための提言5] (トップへ)

使い捨てカメラの普及で、いつでもどこでも簡単に写真を撮れるようになりました。しかしその反動か、レトロなカメラが最近のはやりの様です。

私がカメラを持ったのは小学4年生位だったとおもいます。中古品でしたが、祖父のうちに遊びに行ったとき、もらったのが始めです。メーカーや機種は憶えていませんが、ファインダーは2つの画像を一致させるレンジファインダー。露出計はなく、父親が写真を趣味としていたため、天気でだいたいの露出(シャッタースピードと絞り値)を教わり、白黒フィルムやたまにカラーフィルムを入れて、写真を撮っていました。シャッタースピードも500分の1秒が最速でした。
小学6年生の夏休みの宿題で、自由研究として、雲の写真を撮ったことがありました。当時の白黒フィルムで普通に空を撮影しても、雲は写りにくかったので、父に黄色やオレンジ色、赤色の白黒用フィルターを使うことを教えてもらい、きれいな雲の写真が撮れました。
露出が完全にわかるわけではなく、フィルムも当時は高価だったため、大量に撮影することができず、節約しながら、ちょっとずつ撮っていた記憶があります。
露出の概念を憶えたのは、この頃の経験が最初でしたが、そのおかげでその後、写真を引き伸ばす時にも役立ちました。
現像や焼増しも全て自分の手で作り上げるのもまた、楽しいものです。

最近は、コンピュータの進歩で、写真をデータ化して、それを加工してカラープリンタで印刷してみると、写真と変わらないプリントができる様になりました。さらに、合成写真も簡単にできるようになりました。私の雲の写真は、フィルムスキャナーで取り込み、解像度を調整し、ファイルの大きさを決め、明るさやコントラストの調整と、カラーバランスを整え、公開しているJPEGファイルにしています。

皆さんも、写真をどんどんとって、面白い写真をどんどんホームページで発表してみませんか?


[写真を撮影するための提言6] (トップへ)
 本当に本物の作品とは

 見た目のきれいな写真とか、美しい風景や構造物などを撮る場合は、それ自体がインパクトがあれば、きれいで美しい写真を撮ることは可能だ。あの山岳カメラマンとして有名なYS氏でさえ、中国で撮影したとき、中国人ガイドに「ほかのカメラマンにこの場所に三脚を立たせるな」と言ったほどである。
 だから日本でいい写真を発表するのは簡単だ、その条件は、誰も行ったことのない国や場所に行って、美しい、あるいは貴重な写真を撮ってくればいいのだ。要するに話題性があれば、無名の素人でも、プロカメラマンへの道は開ける。今後は、宇宙開発が進み、宇宙から地球や月などを撮った写真なんか、結構いいかもしれない。
 しかし私は、そのような写真では満足できない。確かに誰も行けないところや、お金がかかって通常では行くことができない写真はそれなりに貴重だが、そのような条件での作品は、写真を撮ることができるカメラマンであれば、誰が撮ってもちゃんとした作品になる。
 私の知り合いのプロカメラマンは、写真を撮ることが日々の修行だと言っている人もいるが、写真撮影の技術さえ習得できれば、後は自分の感性に任せて撮るだけなので、修行という写真の接し方は間違っているとおもう。
 写真とは、記録以外の芸術を目指すのであれば、いかに自分が感動できる被写体を発見できるかであり、その感動がいかにフィルムに現れるかではないだろうか。絵画や彫刻などの、作家が丹念に丹精込めて作り上げる作品は、たいていのものは、それなりに感動できる。何故感動できるのか?
 私が考えるに、それらの作品は完成後の姿を思い描きながら、何日も何週間も、場合によっては何年もその作品に関わり、一筆一筆、一彫り一彫り作家の気というか、想いというかがその作品に注がれ続けることにより、作品自体に命が宿るのではないか?
 いったん命が宿った作品は、見る人に感動を呼ぶ。写真の場合は、命を与えるのはシャッターを押すほんの一瞬だけなので、命が宿る作品を撮ることが大変難しい。私は、プロラボで4年半仕事をしてきたが、感動できる写真に巡り会えるのは珍しかった。そこで、一度は写真に対し絶望したこともあった。
 ある晩夏の早朝(日の出前)飼っている猫に起こされる。(私の胸を鋭い爪が通過したのだ)あまりの痛さに目が覚め、ふとベランダから外を見ると、朝焼けが始まろうとしていた。その当時ネガフィルムしかなかったが、贅沢は言ってられなかった。24枚撮り2本を15分位の時間に撮り終え、出来た写真が「危険な朝焼け」「危険な朝焼け2」である。これがきっかけとなり、長い間写真から遠ざかっていた私の撮影は再開された。もちろん、それ以降ポンポンと作品を撮ってはいたが、ろくな写真が撮れない。しかも、私のきつい条件が、それに拍車をかけた。それは"空の雲だけで勝負する"という条件だった。
 私の命が宿る(感動を呼ぶことのできる)作品の撮影は、困難を極めた、要するにどうしたらいい作品なのかがわからなかったからだ。
 次の大きなチャンスは、池袋のサンシャイン60の屋上からの撮影だった。凄い夕陽がでた。その場にいた客や店の従業員でさえ、夕焼けが素晴らしいものだったのでみとれていた。館内では「ただいま美しい夕陽が出ています」などと放送までしていた。私は狂喜乱舞してシャッターを押した。しかし、その写真が現像からあがってきたとき、何故かたいしたインパクトのないつまらない写真に収まっていた。何故だろう?しかし、答えの出ぬまま、空を、雲を撮り続けていた。
 その後いろいろ試行錯誤を繰り返し、時間を費やしやっとの事で写真を作品にするための条件の一つを見つけることが出来た。それは、シャッターをただ押すだけでは駄目、ということだった。
 目の前に広がる光景と対話をすることが、不可欠だったのだ。もちろん、夕陽と直接話すわけにはいかない。その光景に感動し、どの瞬間でシャッターを押してほしいのかを見極め、撮ることが必要なのだ。きっと絵画や彫刻等の作家が作り上げる作品が想像力や感性の集大成であるように、撮影する一瞬でそれと同じことができなければ、駄目なのだ。
 例えば、もしあなたが音楽をやっていたとして、その演奏や歌のメッセージを100%理解した瞬間(盛り上がった瞬間)にシャッターを押すことができれば、その撮られた本人に見せてもその一瞬がまさにそのまま表れているとわかってもらえるはずである。被写体と写真を撮る自分の周波数を合わせるのが重要なのだ。
 それが、自然現象が相手だと、周波数を合わせることは、困難を極める。そこで、いかにその風景に感動できるかが勝負となるのだ。(私も大したことが言えるほどではないが、ほとんどの人はその瞬間をつかむことは難しいでしょう)
 わかってもらえないでしょうし、わかってもらおうとは思ってませんが、これが私の求めている作品の定義とその説明です。

[写真を撮影するための提言7] (トップへ)
 ネガとポジ

 一般的にフィルムといえばネガを表すが、写真を趣味にしていたり、仕事にしているカメラマンと呼ばれる人達はポジを使うのが常識である。そこで、今回はネガとポジについて書いていくことにする。
 プロラボで仕事をしていたので、「ポジが仕事や作品づくりに不可欠なもの」だという認識はしていた。しかし、ラボから離れ10数年経ち、忘れてしまっていた。
 最近フィルムスキャナーを購入し、使用してやっとそれを思い出した。
 理由は本当に簡単で、単純なことだ。一言で表現すると「ネガだと色や雰囲気がわからなくなる」ということだ。(ラボでもネガがくると嫌がる人もいるほどだ)
以前、私が写真展用の写真をプリントしていたとき、どんなカメラマンも基準とするのがポジなのだ。
プリントとポジがどう違うかで焼き直しになる。おもしろかったのは、CBプリントをご存じだろうか?
ポジからのダイレクトプリントで、チバクロームと呼ばれている物だ。
CB−Pの印画紙は、表面が鏡のような光沢を持ち、人気がある。(今はCBでなくても鏡面仕上げの印画紙がある)
しかし、CBは欠点があった。コントラストが強く、ハイライトがとび、アンダーがつぶれるのだ。
私はあるカメラマンの写真を担当したとき、この写真はCBで焼いたら確実にひどい写真になるとわかる原稿を受け取った。そこで私が今まで培ってきた技術を総動員して、アンダーの焼き出しを通常の5倍程度やってみた。するとコントラストが堅くなることをかなり防ぐことが出来た。それを見たカメラマンは、その写真と私の技術をすっかり気に入ってしまい、以降私がプロラボをやめるまで、指名されたほどだった。
 このようにプロラボ内でのカメラマンとプリンター(現像所の引き伸ばしをする人の事)の間では、1枚の写真に戦いとドラマがあるのだが、例えば、1枚の写真がポジよりできがいいこともたまにある。
カメラマンによってはプリントのほうがいいと気に入る人もいるが、徹底的にポジにこだわるカメラマンの方が結構多い。どう見てもプリントの方がいいに関わらずだ。
これは、カメラマンのこだわりが薄っぺらな証拠でではないか?
 要するに、写真を焼いたり写真展をやったりする場合、自分の作品として見せるために基準となるものがポジであることは書いたが、それが全てになってしまっている。
 例えば、全体に青い色がかぶっている写真がポジとしてある場合、プリンターはそれを取り除く努力をする。するとクリアで美しいプリントができあがるのだ。ネガからのプリントはプリンターの目だけが頼りになる。一般的にカメラマンは、プリンターの目を持っていないため、ポジでしか写真を表現できない。
 有名な山岳カメラマンの写真展の時は大変だった。(大伸ばしなので私はサンプルのみ手がけた)
写真はポジで撮っているが、ポジの色と、撮影時のカメラマンの脳裏に残っている色が違っていると、1m×1.5mの巨大な写真にエアーブラシで修正を施す。
(「もっと赤くしろ」ってな感じでした。おかげでそのカメラマンの写真を焼いてくれるラボも少なかったはずです。)
それを全ての写真にやるのだから大変だ。しかし、今思えばポジにとらわれず修正すらいとわないという、このカメラマンの写真に対する姿勢は素晴らしいといえる。
 ある知り合いのカメラマンは、会場の照明がタングステンだからと、自分の写真を全て真っ青にしてしまった。こんな事をする写真展は前代未聞だったが、私は写真に対しこんな低レベルな間違いを写真展でやるほどとは思わず、びっくりしたもんだ。
(実験的手法ならわかるが、ネイチャーフォトである)
 会場の照明は蛍光灯、タングステン光、デイライトの3つがあるが、そのミックスも考えられる。
しかし人は光学的に写真や風景を見るのではなく、脳で色補正してみることができる。
従って、どこで見ても、どの会場の光源で見ても、きれいに見える写真はきれいなのだ。
 ラボでも、出来上がった写真を見てもらうとき、写真展の会場にあわせた照明をつけて見せるのだが照明と人の目で見る見え方について、ラボではわかっていてもカメラマンは知らないことが多いのではないだろうか?
 これだけ書いて、やっとネガがどうしてカメラマンの間で使用されないかわかってもらえたと思う。
 ところでこのサイトの海外旅行にヨーロッパの写真はがあるが、全てネガである。
実は、出来上がったサービス版を見て私自身がっかりしていたが、フィルムスキャナーでスキャンし、画像加工ソフトでコントラストと色補正を調整すると、ポジで撮ったような、物によってはポジ以上の仕上がりの写真が出来上がった。あらためて目から鱗が落ちた感じがした。
そこで提言である。
「カメラマンはもっと自分の撮ってきた写真を理解し、自分のイメージで作品を発表すべきだ」
よりよいきれいな写真を数多く残していきたいものですね。

[右脳が重要、提言8] (トップへ)

 私は、右脳と左脳の働きのことが、最近気になるようになった。
 よく、「頭で考えるな」という、忠告やアドバイスを受けるが、これも右脳で判断せよという事なのかもしれない。
どうも私達は、左脳でわかる範囲で全ての行動を行っているようだ。
 特に初めてやることに対して、その段取りを頭に入れ、その通りにやろうとするのではないだろうか?
これが左脳での行動と思う。慣れてくると、別のことを考えていても、きちんと作業をこなす物だ、これが右脳の行動なのかもしれない。

 写真は左脳、右脳どちらでも撮影した作品の出来上がりが大きく変わる事は少ない。良い写真をたくさん撮り続けているカメラマンでも、左脳で捉えた作品は、何か物足りなさを感じる。しかし、右脳で捉えた写真は、見ていて心の奥深くにまで訴えてくる物を感じられる。
たいてい、そんな写真を撮る人は、そのほかの写真を見てもそう感じる物だ。

 そこに才能を感じる。

 しかし残念なことに、そのレベルで写真を見、感じることの出来る人が、少ない。特に日本という国は、トップに男性が多いと言う点が災いしているのだろう。
 そもそも右脳が活発に動く人は、性別に関わらずいるのだが、幸か不幸か女性に右脳が強く働く人が多いようだ。たとえリタイアするような年齢から写真を始めても、女性の方が感受性が高く、頭で考えず、感受性でシャッターを押すのでは無いだろうか?

 当然、写真関係の仕事に就いている人も、左脳派の方が圧倒的に多いのかもしれない。もっと芸術性の高い、絵画や美術品のレベルでは、右脳派の独壇場だと思っているが、写真はどうもその辺が中途半端な気がしてならない。
 だから、右脳派よりも企画力や営業としての交渉力の上手い人がくい込めるのである。(右脳派が企画力や交渉力が弱いというわけではないのですが・・・)

 私のホームページと相互リンクしているサイトには、女性が多いのだが、褒め続けているうちに、どんどんと良い写真になっていく人が見受けられる。
逆に、男性は見込みのある人は最初から右脳的な写真を撮っている物だが、そうでない人はどんなに褒めても進歩が無い場合が多いように思う。

 当然、どんな人でも、たまたまそのシーンに感動し、右脳で捉える事が出来る場合もある。だから写真というのは1度の撮影で大量に撮って、その中から良いショットを選ぶ物のように言われている。
 これは、間違っていると私は思う。勿論、才能のない人であれば、この様な撮り方(モータードライブでマシンガンのように撮る)でなければ、仕事にならないこともあるし、記録と言うことであれば、なおさらそのような撮り方が要求される。

 しかし、自分の作品づくりにこの様な撮り方が必要かどうか、よく考えて欲しい。野生動物を狙うのであれば、当然連写無しで良い写真は撮りにくいだろうし、花等のマクロ撮影や風景等には、連写は必要ないと思う。
 要するに、撮影するときに頭のなかを真っ白にして、何かを感じた瞬間にシャッターを押すという事が出来るかどうかだ。
漠然としていてわかりにくいかもしれないが、私はそのように思っている。

 もし、自分が右脳派か左脳派か気になるのであれば、そのようなことを調べる事も出来るので、そんな本なり、何処かのサイトで見つけて、試してみたらどうだろうか?

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