1つ前へ戻る   Otherメニューへ


沖縄・西表島への旅日記(昔の手記より)

19**年8月12日

 朝3:00起床、簡単な朝食を摂り家を出た。たぶん母親に空港まで送ってもらったに違いない。
 私の第2の「沖縄一人旅」の幕は上がった。

 その日朝5時に既に列が出来ていて一般空席待ちの券を配っていたので貰ってみると、なんと282番という搭乗不可能な番号であった。
 長い間日本航空のカウンター前から続く列に並んでいると、前後左右の人達とすっかり友達になっていた。
 暇な学生である私は、どうしても乗らなければならないってことはなかったかもしれないが、きっとバイトで沖縄旅行の資金が貯まったので、2週間位の日程でいくことにしたのだ。
 いい加減待ち疲れて、今日は乗れないのではという午後4時頃、私の横に並んでいる人に団体搭乗券を分けてもらえる人を紹介して貰う。なんという幸運だろう。
 その日の最終便に乗せていただくことになった。そのかわり、2人の女の子を那覇空港の出口まで同伴して欲しいと頼まれ、快諾する。
 無事19:15発、909便に搭乗、羽田を出発し、その後21:45に那覇空港に到着した。
 2人の女の子を無事親へ帰した。夜も遅いが、宿を探そうかと思っていると、その親が自宅へ泊まっていくことを強く勧めてくれたので、好意にあまえさせていただく。感謝である。

 8月13日

 翌朝朝食をごちそうになり、午前中そこの母親のすすめで、首里城近辺を2人の男の子に連れられて、案内された。しかし、首里城のことを知らない私は、「守礼の門」が、ここの唯一残っている名残と知り、シャッターを押した。当時城は復元されてなく、城壁などを撮ったりしたが、あまり印象に残っていない。この時の男の子2人は大変よくなついてくれて、昼頃に私が出るときには、とてもなごり惜しい様子だった。

 始めに那覇新港へ行き、荷物を預け、那覇空港へ行き帰りの便を予約した。那覇新港へ戻ると、台風のため、石垣島まで行く「玉龍」という船は欠航となる。困っている私に、軽貨物のおっさんが声を掛けてきた。事情を話すと、泊港の近くの民宿へ案内され2泊する。しかしこの頃の私は人を疑うことがほとんどなく、よく無事に旅が出来たもんだと、今更ながら思うが、あのおっさんは、案内した民宿の関係者か、あるいは連れて行くと多少の手数料をもらえるんだろうな。
 その民宿で、西表島を目指している人と会う。出版関係の人で、佐藤さんという名前だった。

8月15日

 1日中港で船の出航を待っていた。佐藤さんと2人で・・・たぶんとてつもなくひまだったと思う。その夜、20時乗船、0時出航予定の「玉龍」は、翌16日午前4時にやっと出航した。
 とにかく2日間も船が出なかったため、乗せるだけ乗ったため、すし詰め状態だったのを憶えている。寝るときも当然ザコ寝で自分の横になる場所しか確保できない有様で、さらに台風は去ったものの、海の状態はもの凄く揺れ、私を始めまわり全員がひどい船酔い状態だった。やがて朝食の時間が来て、アナウンスが流れるが、誰一人として食事に行こうとする人がいない。しかし私はがっついているせいか(食べないと具合が悪くなると信じ・・・あるいは料金の内と思い)朝食を無理矢理食べた。美味しいとは思わなかったが、その後吐くこともなく、なんとか食事を食べ続け、石垣港には17日の夜中0時に入港、すなわち24時間船の中にいたのだ。通常なら14時間ほどのはずだ。
 船の中では、隣にいた「ナツコ」という5歳の女の子になつかれていた。後日、住所を教えてあったので、つたない手紙が来たのを憶えている。

8月17日

 石垣島の民宿に夜中到着し、翌朝11時の西表島の船浦港行きの船「マリンスター」に、佐藤さんと乗り込み、カンピラ荘へ向かった。しかし、船酔いも24時間揺られていると、石垣島の民宿で寝ていると、まだ船の中にいるように揺れている。勿論民宿は揺れていない。私の三半規管か、体中の器官が揺れを続けているのだ。
 午後に西表について、早速「星砂の浜」と呼ばれるところで泳いだ。大阪の学校の先生と一緒に泳いでいて遅くなり、帰りの送迎バスに乗れず歩いて帰る途中、軽トラックが荷台に乗せてくれたので、助かった。その日35cm位のシャコ貝を見つけ、持ち帰った。貝殻はいまだに私の実家に飾ってある。

ここから先の詳しい手記はないので、簡単にそれ以降のスケジュールだけ記す。

8月18日

 マリウド・カンピラの滝を見に行く。川上りが楽しめ、滝まではさほどの山道でもないので、ハイキング気分で十分行ける。

8月19日

 午前中は、NHK、NTTの鉄塔に登る。(立入禁止の場所なので、行ってはいけません。あしからず)
 午後は、牛が浜で泳ぐ。

8月20日

 1回目の洞窟探検に行く。この洞窟にはマリア像と呼ばれる石筍があり写真に写っているのがそれである。

8月21日

 鳩間島へ10人くらいで小さな船をチャーターして行く。その中の1人は、なんと鳩間島に郵便局があるということで、預金通帳を持ってきた。本当に島の中央部にある郵便局でお金をおろしていた。鳩間島は小さい島で、ほんの10分も歩くと反対側に出てしまう。ここの浜辺は星の砂がきれいで、豊富にあった。

8月22日

 2回目の洞窟探検に行く。
 実は、この日から再び台風が来ていて、海に出ることが出来なかった。こんな時は、民宿に泊まっている客同士、色々なゲームをやったり、泡盛を飲んで宴会をやっていた。今は知らないが、私が沖縄に行ってた頃は、民宿に泊まると、夕食後泡盛が飲み放題なのだ。これは石垣島でも沖縄本島でもそうだった。しかし、一番気を付けなくてはいけないのは、飲んでしまったら、絶対にクーラーを付けずに寝ると言うことだ。そのせいで朝起きても二日酔いしたことがない。快調に朝食が食べられるのである。(当時私は程々には飲んでました。)

8月23日

 引き続き台風で海には行けず、ヒナイサーラの滝へ行く。確か本格的に台風が来て、風が凄く目を開けていられないくらいだった。砂がもの凄い勢いで、顔や手足を襲う、あまり凄いので水中メガネをして出歩いている人もいるくらいだった。

8月24日

 台風の影響はまだあるが、星砂の浜へ泳ぎに行く。

8月25日

 石垣島へ移動し、一緒にいた泊まり客と別れる。

8月26日

 石垣島の底地ビーチで泳ぐ。

8月27日

 「バビドラ」って書いてあるが、なんのことか私にはわかりません。ひょっとすると「バラビド」かも?

8月28日

 たぶん石垣空港からジェット機で那覇空港へ、更に羽田へ乗り継いで帰宅する。
 羽田でタクシーを拾おうとするが、10分位のところにある母方の実家へ行ってもらおうとしたら、乗車拒否されてしまった。仕方なくバスで向かう。こうして私の沖縄旅行は終わった。



 西表には、合計で4回行っているはずだ。3回目の時が一番長く、約1ヶ月いた。4回目は、社会人となっていて、9日間ほど夏休みをもらい、行っている。次に西表に行けるのは一体いつの事やら。


 しかしこれを書いて思ったが、以外に沖縄の人は、困っていそうだと気さくに声を掛けてくれ、車に乗せてくれる。そんな暖かさが今も残っているのだろうか?
 私の知り合いが、イリオモテヤマネコを求め、西表へ10年近く住んでいたが、その時の様子を彼はこの様に語ってくれた。
 「ここは非常に狭い付き合いしかさせてくれない。よそ者は所詮よそ者として扱われ、決して心を許してくれない」
 単なる観光客に対してはおおらかだが、住み着く物に対しては、結構きつそうなところなのかもしれない。
 そうはいっても、都会に住んでいる我々に、真の大自然を教えてくれる場所でもある。しかし、パックツアーで、瞬間しかいない旅行者には、絶対に大自然の凄さはわからないと思います。


1つ前へ戻る   Otherメニューへ